2025年6月1日、職場における熱中症対策が法律によって事業者に義務付けられました。労働安全衛生規則の改正により、特定の作業条件下での「報告体制の整備」と「措置手順の作成・周知」が罰則付きで求められるようになっています。建設業・製造業・警備業を中心に、多くの企業で対応が急務となっています。本記事では、法改正の内容・背景・企業が取るべき具体的な対応ステップを整理します。
なぜ今、職場熱中症対策が「義務」になったのか
職場での熱中症による死傷者数は、近年急増を続けています。厚生労働省の確定値によると、2025年に職場での熱中症による死傷者数(死亡+休業4日以上)は1,803人に達し、統計開始以来の最多を記録しました[1]。2016年の462人と比較すると約3.9倍の増加です[1]。
死亡者数は2022年から3年連続で30人以上が続き[1]、深刻な状況が続いていました。
こうした状況を受け、厚生労働省は「初期症状の放置・対応の遅れが死亡に至る主因」との認識から、労働安全衛生規則を改正。「体制整備」「手順作成」「関係者への周知」の3点を罰則付きで義務化しました。
図1:職場熱中症死傷者数の推移と義務化の背景(厚生労働省の統計[1]をもとに作図)
義務化の対象作業と要件:自社は該当するか
今回の改正は、業種・規模を問わず適用されます。ただし、義務が生じるのは以下の条件をすべて満たす「暑熱な場所」での作業に限られます[2]。
- WBGT値28℃以上、または気温31℃以上の作業場所
- 継続して1時間以上、または1日当たり4時間を超えて行われることが見込まれる作業
「暑熱な場所」は屋内外を問いません。空調の効かない倉庫・工場内の高熱工程、出張先での屋外作業、移動中の場所なども含まれます。非定常作業や臨時作業であっても、条件を満たすと判断される場合は対象です。
業種別の死傷者データ(2021〜2025年計)を見ると、建設業が1,083人(全体の約19.5%)、製造業が1,063人(同約19.1%)と2業種で約4割を占めます[1]。死亡者では建設業が52人と圧倒的に多く、次いで警備業18人と続きます。しかし、商業・運送業・農業など幅広い業種に被害が及んでいる点にも注目が必要です。
事業者に義務付けられた2つの措置
改正労働安全衛生規則第612条の2に基づく義務の中核は、以下の2点です[2][3]。
(1)報告体制の整備と周知
- 「熱中症の自覚症状がある作業者」または「熱中症のおそれがある作業者を発見した者」が、その旨を報告するための連絡先・担当者をあらかじめ定める
- 上記の体制を関係作業者全員に周知する
(2)症状悪化防止措置の手順作成と周知
- 作業からの離脱、身体の冷却、必要に応じた医師の診察または処置の手順を定める
- 緊急連絡網・緊急搬送先の連絡先および所在地を含む内容を作成する
- 上記の手順・内容を関係作業者全員に周知する
この改正は熱中症の早期発見と重篤化防止を主目的としており、予防対策の詳細(WBGT管理・作業休止基準など)は別途「職場における熱中症予防基本対策要綱」に定められています。両者を組み合わせて対応することが求められます。
WBGTとは何か:企業担当者が知るべき測定・管理の基本
義務化対応の基盤となるのがWBGT(湿球黒球温度)という指標です。単純な気温とは異なり、湿度・輻射熱・風速を総合して人体の熱バランスを評価する数値で、熱中症診療ガイドライン2024(日本救急医学会)においてもリスク判定への有用性が確認されています[4]。
図2:WBGTによる熱中症リスクの4段階管理(日本救急医学会 熱中症診療ガイドライン2024 [4]をもとに作図)
WBGTの値と推奨される対応の目安は以下の通りとされています[4][5]。
- 31℃以上(危険):激しい作業は中止を検討。特別な理由なく屋外作業は避ける
- 28〜31℃(厳重警戒):激しい作業を制限し、定期的な強制休憩と水分・塩分補給を実施
- 25〜28℃(警戒):積極的な休憩と水分補給。身体活動の強度を適切にコントロール
- 25℃未満(注意):一般的リスクは低いが、作業強度に応じた水分補給は継続
WBGTの測定には専用の測定器が最も確実ですが、環境省の熱中症予防情報サイトや気象庁・スマートフォンアプリの予測値を参照する方法も、屋外の通風のよい環境では認められています。重要なのは、判断の根拠を記録として残すことです。
「気温だけ見ていた」という企業は要注意です。たとえば気温が30℃であっても、湿度が80%を超えると体感上のWBGT値は大幅に高くなります。金属屋根の下や舗装道路上では輻射熱によりWBGT値が気温より大幅に高くなる場合があります。従来の「気温管理」から「WBGT管理」への転換が、義務化対応の実質的な要点の一つです。
暑熱順化(高温環境への身体の慣れ)も重要な要素です。熱中症診療ガイドライン2024では、暑熱順化が熱中症の発症および重篤化リスクを低下させる可能性が示されています[4]。夏の初めや、長期休暇明けに熱中症が起きやすいのはこのためです。この時期は特に作業時間を短縮し、こまめな休憩を設けることが求められます。
企業が今すぐ進めるべき対応ステップ
義務化対応を漏れなく進めるために、以下の4ステップが実務の起点となります。
Step 1:対象作業の洗い出し
自社の作業工程を棚卸しし、WBGT28℃以上・気温31℃以上となりうる場所と、条件を満たす作業時間を確認します。協力会社を含め、委託先の作業環境も把握が必要です。
Step 2:報告体制の整備
熱中症が疑われる場合の「報告先担当者名・連絡先」「緊急搬送先の病院名・所在地・電話番号」を文書化し、現場に掲示または配布します。担当者が不在の際の代替連絡先も含めてください。
Step 3:措置手順の作成
「発見→涼しい場所への移動→身体の冷却→医師診察・救急要請の基準」をフロー形式で明文化します。誰でも迷わず動けるよう、現場スタッフの目線でシンプルに記載することが重要です。
Step 4:関係者への周知と記録
整備した体制・手順を、協力会社従業員を含む全作業者に説明します。周知した日時・参加者・内容を記録として保存してください。行政調査や法的トラブルが生じた際に、対策の実施を証明できる記録が重要な証拠となります。
なお、2025年に発生した死亡災害19件のうち、「報告体制の整備・周知が確認できなかった」事例が2件、「措置手順の作成・周知が確認できなかった」事例が3件あったことが厚生労働省の報告書で明らかになっています[1]。義務化されたにもかかわらず未実施のまま災害が起きた場合、企業の法的責任は重大なものとなります。
また、熱中症予防のための労働衛生教育を実施していなかった事例が19件中9件に及んでいます[1]。体制・手順を整えるだけでなく、従業員が熱中症の初期症状を正しく理解し、躊躇なく申告・報告できる職場文化の醸成が、義務化対応の実効性を高める鍵となります。「体調が悪くても申告しにくい雰囲気」が熱中症を重篤化させてきた背景があるからです。
見落としがちな落とし穴:対策を形骸化させないために
書類を作って終わり、という対応では不十分です。現場でよくある落とし穴を整理します。義務化対応と並行して、予防的な職場環境整備も進めることが重要です。「職場における熱中症予防基本対策要綱」では、WBGT管理に加え、休憩所の設置・水分・塩分の供給体制の整備・作業服の選択も推奨されています[5]。
- 年齢層への配慮不足:2025年の死傷者のうち50歳代以上が全体の約52%、死亡者では約84%を占めています[1]。特に中高年の従業員や、暑熱環境に不慣れな新入者・季節労働者には個別の配慮が求められます
- 時間帯の油断:死亡事例の多くは午後に集中していますが、作業終了後・帰宅後に体調が悪化する事案も少なくありません[1]。「仕事が終わったから大丈夫」という認識は危険です
- 持病のある従業員への対応:糖尿病・高血圧など熱中症リスクを高める疾病・所見がある事例が死亡災害の約47%にみられました[1]。健康診断の活用と産業医との連携が重要です
- 周知の確認不足:書面を配布しただけでは周知とはいえません。説明会・安全朝礼・掲示板など複数の手段を組み合わせ、外国人労働者には多言語対応も検討してください(厚労省は英語・中国語・ベトナム語のリーフレットを公開しています)[2]
- 記録の欠如:WBGT測定値・休憩の実施記録・周知記録は、将来の法的確認に備えて3〜5年程度の保存が望まれます
受診を検討したいサイン
以下のいずれかが作業者に認められる場合は、直ちに作業から離脱させ、医師の診察または救急要請を検討してください。自己判断による経過観察は行わないことが原則です。
- 意識がはっきりしない・ぼんやりしている(JCS2以上、または呼びかけへの反応が鈍い)
- 会話が支離滅裂になっている・ふらついている
- 皮膚に熱感があり、体温が高い(目安として40℃以上)
- 自力での水分摂取ができない
- けいれん・手足の硬直がみられる
- 高体温・意識障害が同時に認められる(熱射病の可能性。最重症で生命危険)
- 「大丈夫」と言っていた後でも、急に体調が悪化した場合
熱中症診療ガイドライン2024によれば、深部体温40℃以上かつ意識レベル低下(GCS8以下)が認められる状態はⅣ度(最重症)に分類され、Active Cooling(積極的冷却)を含む集学的治療が早急に必要とされます[4]。現場での冷却(氷水・濡れタオル・扇風機など)を行いながら、救急要請を遅らせないことが重要です。
図3:熱中症発生時の緊急対応フローと受診サインの整理
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参考文献
- 厚生労働省(2026)「令和7年 職場における熱中症による死傷災害の発生状況(確定値)」職場における熱中症予防情報サイト. neccyusho.mhlw.go.jp
― 本記事での引用箇所:「2025年の死傷者数1,803人(統計開始以来最多)」「業種別死傷者数(建設業292人・製造業365人)」「年齢別死傷者数(50歳代以上が約52%)」「死亡災害事例19件の詳細」の根拠
- 厚生労働省(2025)「職場における熱中症対策の強化について(令和7年6月1日施行)パンフレット」職場における熱中症予防情報サイト. PDF(neccyusho.mhlw.go.jp)
― 本記事での引用箇所:「義務化の対象作業条件(WBGT28℃以上または気温31℃以上・1時間以上継続)」「報告体制整備・措置手順作成・周知の義務内容」の根拠
- 岡山産業保健総合支援センター(2025)「労働衛生コラムNo.14 職場における熱中症予防対策について」岡山産業保健総合支援センター. okayamas.johas.go.jp
― 本記事での引用箇所:「死亡災害の原因の多くが初期症状の放置・対応の遅れによること」「義務化の対象作業の詳細な解説(出張先・移動中も含む)」の根拠
- 日本救急医学会(2024)「熱中症診療ガイドライン2024」日本救急医学会. PDF(jaam.jp)
― 本記事での引用箇所:「WBGTの熱中症リスク判定への有用性」「Ⅰ度〜Ⅳ度の重症度分類」「深部体温40℃以上・GCS8以下がⅣ度(最重症)でActive Coolingが必要」の根拠
- 厚生労働省(2026)「職場における熱中症防止のためのガイドライン(令和8年3月)」職場における熱中症予防情報サイト. PDF(neccyusho.mhlw.go.jp)
― 本記事での引用箇所:「WBGTの警戒段階ごとの作業管理の基準(注意・警戒・厳重警戒・危険の4段階)」「休憩所設置・水分塩分補給体制整備の推奨」の根拠
本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、法律解釈・診断・治療に代わるものではありません。法令への対応は所轄の労働基準監督署や産業医・社会保険労務士などの専門家にご確認ください。従業員が熱中症の疑いで意識障害などを呈した場合は、直ちに救急隊を要請してください。