「従業員が数名しかいない中小企業でも、健康診断を実施しなければならないのか」と疑問を持たれる経営者・人事担当者は少なくありません。結論から言えば、従業員規模にかかわらず、すべての企業に定期健康診断の実施が義務づけられています。労働安全衛生法に基づくこの義務を怠ると、罰則のリスクが生じるだけでなく、従業員の健康悪化や生産性低下につながる可能性があります。本記事では、中小企業の経営者・人事総務担当者に向けて、健康診断の法的義務の全体像、費用の実際、スムーズな運用方法、そして費用を抑えるための支援制度を実務的に解説します。
中小企業も例外なし——健康診断の法的義務とは
従業員の定期健康診断は、労働安全衛生法第66条によって事業者に義務づけられています。同法第120条では、この義務に違反した場合、50万円以下の罰金が科される可能性があることが定められています[1]。「従業員が50人未満だから義務はない」と誤解されることがありますが、これは大きな誤りです。50人未満の事業場が免除されるのは、定期健康診断結果の労働基準監督署への「報告義務」のみであり、健康診断の実施義務そのものは事業場規模に関係なく発生します。
また、健康診断の結果を適切に記録しなかった場合(第66条の3違反)、または結果を従業員に通知しなかった場合(第66条の6違反)も同様の罰則対象となります。健康診断の実施は「コストがかかる任意の福利厚生」ではなく、法律で定められた事業者の義務であることを、まず経営者・担当者が正確に理解することが重要です。
図1:事業場規模に関係なく健康診断実施義務が発生する(労働安全衛生法第66条)
対象者と実施種類——誰に、いつ、どの健診を行うか
健康診断の対象者は「常時使用する労働者」と定められています。正社員はもちろん、パートタイムや契約社員も、次の2つの条件を両方満たす場合は対象となります[1]。
- 雇用期間:期間の定めのない雇用契約、または1年以上の雇用が見込まれる
- 労働時間:1週間の所定労働時間が正社員(同種業務)の4分の3以上
なお、所定労働時間が正社員の2分の1以上4分の3未満のパート・アルバイトについても、健康診断の実施が「望ましい」とされています。派遣社員については、雇入時・定期健康診断の実施義務は派遣元事業者にあります(特殊健康診断は派遣先が実施)。中小企業で注意が必要なのは、長年勤務するパート従業員や契約更新を繰り返しているアルバイトスタッフです。こうした従業員が条件を満たしている場合、健康診断を実施しないと法令違反となります。
中小企業が実施すべき主な健康診断の種類と時期は次のとおりです[1]。雇入時の健康診断(安衛則第43条)は採用の直前または直後に実施します。定期健康診断(安衛則第44条)は常時使用する労働者を対象に年1回。特定業務従事者の健康診断(安衛則第45条)は、深夜業・高温作業など特定の業務に従事する従業員について、配置替え時および6ヶ月ごとに実施します。定期健康診断の検査項目は、既往歴・業務歴の調査、身体計測、視力・聴力検査、胸部X線検査、血圧測定、血液検査(貧血・肝機能・血中脂質・血糖)、尿検査、心電図など11項目が基本です。医師の判断により、一部の年齢層では省略が認められる項目もあります。
図2:健康診断の実施から結果管理・事後措置までの標準フロー(厚生労働省 労働安全衛生法の規定をもとに作図)
費用の実際——費用相場と会社負担の範囲
「健康診断にどのくらいの費用がかかるか」は中小企業にとって重要な経営上の問いです。法定の定期健康診断にかかる費用は、一般的に従業員1人あたり5,000円〜15,000円程度が相場とされています[2]。健康診断は保険適用外の自由診療のため、医療機関の規模・地域・検査設備によって費用に差があります。
費用負担に関して、厚生労働省は「法により事業者に健康診断の実施が義務付けられている以上、当然に事業者が負担すべきものとされています」と明示しています[3]。法定健診(雇入時・定期健診・特殊健診)の費用は全額会社負担が原則です。
一方、法定項目以外のオプション検査(人間ドック、胃カメラ、がん検診の追加項目など)は、原則として従業員の自己負担となります。ただし、産業医が就業可否の判断に必要と認めた場合は、会社負担を検討すべきケースもあります。再検査・精密検査については通常は自己負担ですが、特殊健康診断で異常が見つかった場合の再検査は会社負担となります。
健康診断費用の経理処理については、福利厚生費として計上できます。ただし、全従業員が対象であること、特定の従業員のみに支給するものでないことが条件となります。社会保険労務士や顧問税理士に確認のうえ適切に処理することをお勧めします。健康診断の受診時間中の賃金については、法律上の支払い義務は明示されていませんが、厚生労働省は「受診に要した時間の賃金を支払うことが望ましい」との見解を示しています。特殊健康診断の受診時間は労働時間に該当し、賃金支払いが必要です。
費用を抑える支援制度——協会けんぽと自治体の活用
中小企業が健康診断費用の負担を軽減するための公的支援制度が複数あります。特に全国健康保険協会(協会けんぽ)の活用は有効です。
協会けんぽでは、35歳〜74歳の被保険者本人を対象に「生活習慣病予防健診」を実施しており、自己負担額は最高5,500円(一般健診の場合)と定められています。節目健診(40・45・50・55・60・65・70歳)では最高8,280円の自己負担上限が設けられています[4]。定期健康診断の法定項目と生活習慣病予防健診は内容が重複する部分があり、うまく組み合わせることで実質的な企業負担を抑えることができる場合があります。健康保険組合への確認と活用を検討してください。
また、従業員50人未満の小規模事業場は、産業医の選任義務がない代わりに、地域産業保健センター(都道府県ごとに設置)を無料で活用することができます。産業医への医師意見聴取(健康診断後の事後措置として義務)も、地域産業保健センターを通じて行うことが可能です。加えて、国の「小規模事業場向け産業医活動支援モデル事業」など、各年度で申込を受け付けている支援事業も存在します。自社の所在地を管轄する労働局・労働基準監督署のWebサイトで最新情報を確認してください。
なお、複数の医療機関から見積もりを取り、団体受診の割引を活用することも費用抑制の手段として有効です。巡回健診(健診車が職場に来て実施する出張健診)は従業員が業務を離れる時間を短縮できるほか、1人あたり6,000円〜程度から利用できるケースもあります[2]。従業員の受診率向上と費用管理の両立という観点から、自社規模に合ったサービス形式を選択することをお勧めします。
よくある落とし穴——事後措置と記録保存の義務
健康診断は「実施して終わり」ではありません。法令上、実施後の対応も義務となっています。中小企業が特に見落としがちな点を整理します。
- 結果の従業員への通知(第66条の6):健康診断の結果は、遅滞なく本人に書面で通知する義務があります。通知しなかった場合も50万円以下の罰金対象となります。
- 医師の意見聴取(第66条の5):健康診断で異常所見のあった従業員については、健康診断実施日から3ヶ月以内に産業医等の医師から就業上の措置についての意見を聴取する義務があります(安衛則第51条の2)。50人未満の事業場では地域産業保健センターの活用が可能です。
- 就業上の措置の検討:医師の意見をもとに、業務の軽減・時間短縮・配置転換等を検討することが必要です。これは義務ではなく判断の問題ですが、安全配慮義務(労働契約法第5条)の観点から、合理的な対応を取ることが求められます。
- 健康診断個人票の保存(第66条の3):定期健康診断の結果は、健康診断個人票として5年間保存する義務があります(一部の特殊健康診断は保存期間が異なります)。電子データでの保存も認められています。
- 50人以上の事業場での報告:常時使用する労働者が50人以上の場合、定期健康診断結果報告書を労働基準監督署に提出する義務があります(50人未満は不要)。
受診を検討したいサイン——従業員・職場の健康リスクに気づくために
健康診断は年1回の法定実施が最低ラインですが、以下のような状況が見られる場合は、早めに産業医や保健師への相談、または医療機関への受診勧奨を検討することが望まれます。
- 健康診断で「要再検査」「要精密検査」「要治療」と判定された従業員が複数名いる
- 特定の部署で体調不良による欠勤や遅刻が目立つ
- 長時間労働(月80時間超の時間外労働)が続いている従業員がいる(労働安全衛生法により、本人の申出に基づき医師との面接指導が義務)
- 同業他社と比較して、有所見率(健診で異常所見があった割合)が高い
- メンタルヘルス不調(ストレスチェックで高ストレス判定)の従業員が増加している
- 50人以上の事業場でストレスチェック(労働安全衛生法第66条の10)の未実施が続いている
図3:中小企業の健康診断コンプライアンス確認チェックリスト(法令要件の整理)
健康診断の実施体制を整えることは、法令遵守だけでなく、従業員の健康を守り、長期的な組織の生産性を維持するための基盤づくりにつながると考えられています。健康経営に関する取り組みは、経済産業省「健康経営優良法人認定制度」(中小規模法人部門)の要件にも含まれており、取引先評価や採用にプラスの影響をもたらすことも報告されています[5]。
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参考文献
- 厚生労働省(2023年)「労働安全衛生法(安衛法)— 健康診断に関する規定(第66条・第66条の3・第66条の5・第66条の6・第120条)」厚生労働省 e-Gov法令検索. 厚生労働省 労働安全衛生関係法令 / e-Gov 労働安全衛生法 — 本記事での引用箇所:事業者の健康診断実施義務(第66条)、記録保存義務(第66条の3)、医師の意見聴取義務(第66条の5)、結果通知義務(第66条の6)、罰則(第120条)、対象者(安衛則第43・44・45条)の根拠
- マーソビジネス編集部(2026年)「中小企業のための『労働安全衛生法に基づく健康診断』実務ガイド」マーソビジネス. MRSOビジネス — 本記事での引用箇所:定期健康診断の費用相場(1人あたり5,000〜15,000円)、50人未満の事業場の実務対応
- 厚生労働省(参照2026年)「よくあるご質問 — 健康診断の費用は労働者と使用者のどちらが負担するものなのでしょうか?」厚生労働省. 厚生労働省FAQ — 本記事での引用箇所:「法により事業者に健康診断の実施が義務付けられている以上、当然に事業者が負担すべきもの」という費用負担の根拠
- 全国健康保険協会(協会けんぽ)(2026年)「健診について(被保険者)— 生活習慣病予防健診」協会けんぽ. 協会けんぽ 健診について — 本記事での引用箇所:一般健診の自己負担上限額(最高5,500円)、節目健診の自己負担上限額(最高8,280円)の根拠
- 経済産業省(参照2026年)「健康経営優良法人認定制度(中小規模法人部門)」経済産業省. 経済産業省 健康経営 — 本記事での引用箇所:健康診断実施が健康経営優良法人認定の評価項目に含まれることの根拠
本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、法的・医療的助言に代わるものではありません。法令の内容は改正される場合があります。健康診断の実施体制や費用負担に関する個別の判断については、社会保険労務士・産業医・所轄の労働基準監督署にご相談ください。また、従業員の健康状態に関する個別の判断については医療機関にご相談されることをお勧めします。