「健康経営」という言葉を耳にする機会が増えました。大企業を中心に広がってきたこの取り組みは、いまや中小企業にとっても無視できない経営課題となっています。人手不足が深刻化するなか、従業員が体とこころの不調を抱えたまま働き続ける状況は、組織全体の生産性を静かに蝕んでいます。本記事では、健康経営の基本的な概念と、中小企業が直面しやすい課題、そして実務的な始め方を整理します。
健康経営とは何か――経営判断として従業員の健康に向き合う
健康経営とは、従業員の健康管理を「コスト」ではなく「投資」として位置づけ、経営戦略の一部として推進する取り組みです[1]。経済産業省が旗振り役となり、2014年から「健康経営優良法人認定制度」を整備してきました。
重要なのは「健康経営」が単なる健康診断の受診促進にとどまらないという点です。生活習慣病の予防・重症化防止、メンタルヘルス対策、過重労働の抑制、育児・介護と仕事の両立支援など、従業員の生活全体を視野に入れた継続的な取り組みを指します。
なぜ経営課題になるのか。その背景にあるのがプレゼンティーイズム(presenteeism)とアブセンティーイズム(absenteeism)という概念です[2]。アブセンティーイズムは病欠・休業による損失を指しますが、より見えにくく大きな損失をもたらすのがプレゼンティーイズム、すなわち「出社しているが、なんらかの不調により生産性が低下している状態」です。研究では、プレゼンティーイズムによる損失はアブセンティーイズムや医療費を大きく上回ることが報告されています[2]。
図1:健康経営が対象とする領域の全体像。単一の施策ではなく、複数の健康課題が連動して経営成果につながるとされています。
中小企業が直面する4つの課題
大企業との比較で、中小企業は健康経営の取り組みで固有の困難を抱えています。帝国データバンクの調査(2023年)によれば、健康経営に未取り組みの企業のうち、「適当な人材確保が困難」と答えた割合は39.0%、「効果的な実施方法が不明確」が37.3%、「費用対効果が不明確」が29.3%でした[3]。
- 専任担当者の不在:多くの中小企業では健康経営の専任部署・統括組織を持たず、担当者や部署レベルで対応しているに過ぎないとされています。産業医・保健師の配置も限定的です。
- ノウハウ・情報の不足:何から着手すればよいかの指針がなく、「健康診断を実施していれば十分」という認識にとどまるケースが多く見られます。
- 投資対効果(ROI)の見えにくさ:プレゼンティーイズムによる損失は財務数値に直接現れないため、経営層に継続投資を説得するデータが乏しくなりがちです。
- 施策の属人化と形骸化:担当者の異動・退職を機に取り組みが止まる、あるいは認定取得だけを目的に実質的な変化が伴わない「見せかけの健康経営」に陥るリスクがあります。
プレゼンティーイズムが生産性に与える影響――見えにくい損失を数字で捉える
健康経営の必要性を経営会議で説明する際に活用できるデータがあります[2]。国内外の調査では、労働生産性の損失のうちプレゼンティーイズムが占める割合は大きく、欠勤コストを大幅に上回るという報告が複数あります。
健康リスクの水準別に換算した研究では、健康リスクが低水準の従業員と高水準の従業員では、プレゼンティーイズムによる年間損失コストに最大3倍程度の開きがあることが示されています[2]。また、経済産業省が引用している国内データによれば、従業員1人あたりの健康関連コスト(医療費・欠勤・プレゼンティーイズム)は年間数十万円規模に上るとされており、従業員規模が小さい企業ほど1人あたりの影響が大きく現れます。
図2:アブセンティーイズム(欠勤・休業)とプレゼンティーイズム(出勤しているが生産性低下)の損失コスト比較のイメージ。研究ではプレゼンティーイズムの損失がより大きいと報告されています([2]をもとに作図)。
さらに、採用・定着の観点でも差が出ています。経済産業省が選定する「健康経営銘柄2022」企業の離職率は2.5%であったとの報告があり[1]、全国平均(同時期で10〜11%台)との差は顕著です。この差の全てが健康経営だけによるものとは言えませんが、従業員のウェルビーイングへの投資が人材定着と無関係ではないことを示す一つの指標とされています。
中小企業の健康経営:4つのステップで始める実務手順
「何から手をつければよいかわからない」という声に応えるため、実務的なステップを整理します。
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ステップ1:協会けんぽ等の「健康宣言」に参加する
健康経営優良法人(中小規模法人部門)の認定を目指す場合、協会けんぽまたは加入している健保組合が実施する「健康宣言事業」への参加が必須要件です[4]。費用は概ね無料で、経営者が従業員の健康づくりに取り組む意思を示すことが第一歩となります。
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ステップ2:現状の健康課題を把握する
健康診断の結果データ(受診率・所見率)、ストレスチェックの結果、残業時間の傾向を集約します。専任担当者がいない場合は、総務・人事担当者が保険者と連携して数値を確認するところから始めます。まず「見える化」することが施策の優先順位付けに直結します。
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ステップ3:優先度の高い施策を選定して実行する
全施策を一度に導入する必要はありません。健康経営優良法人認定の必須項目(健康宣言・健診受診勧奨・過重労働防止・メンタルヘルス対策等)を確認し、自社の課題に照らして優先度が高い2〜3の施策に絞ります。管理職向けの健康教育や、ノーストレスチェック月間の設定など、予算をかけずに始められる施策から着手することが継続につながります。
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ステップ4:PDCAを仕組み化し、衛生委員会・産業医と連携する
労働安全衛生法上、常時50人以上の従業員を使用する事業場には衛生委員会の設置が義務付けられています(労働安全衛生法第18条・同施行令第9条)[5]。50人未満でも任意で安全衛生委員会を設けることができます。産業医や外部支援者を巻き込み、取り組みの評価・改善サイクルを属人化させない仕組みにすることが長期継続の鍵です。
図3:健康経営を始めるための4ステップの流れ。健康宣言→現状把握→施策実行→評価改善のサイクルを継続することが重要とされています。
よくある落とし穴――形骸化を防ぐために
健康経営に取り組む企業が増える一方で、「認定取得が目的化してしまい、実質的な変化がない」という状態に陥るケースも指摘されています。
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施策の一方通行:経営層の意図と現場のニーズが乖離していると、施策への参加率が上がらず形骸化します。従業員を施策の企画段階から巻き込み、「自分ごと」として捉えてもらう工夫が求められます。
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データの取りっぱなし:健康診断・ストレスチェックを実施しても、結果を分析・活用せずに終わるケースがあります。「実施したか」ではなく「何が変わったか」を確認するPDCAが不可欠です。
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属人化:担当者の熱量だけで動いている場合、その人が異動・退職した瞬間に活動が止まります。衛生委員会の定期開催や外部パートナーとの継続関係など、「担当者が替わっても続く仕組み」の設計が重要です。
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健康経営ウォッシュ:「従業員の健康を大切にする」と掲げながら、現場の実態として長時間労働や高ストレス状態が放置されているケースは「見せかけの健康経営」と呼ばれます。制度への申請よりも実態の改善を優先することが信頼につながります。
和ごころの法人向け支援でできること
和ごころでは、中小企業・中堅企業の健康経営推進を専門スタッフがサポートします。貴社の業種・従業員構成・現在の健康課題に合わせて、以下の支援を組み合わせてご提供しています。
- 定期健康診断の受診勧奨・データ管理支援
- 従業員向け健康講座(生活習慣病予防・腰痛・メンタルヘルス)
- 職場の健康相談窓口の設置支援
- ストレスチェック実施・高ストレス者へのフォロー体制構築
- 腰痛・メンタル不調による休業リスク低減に向けた職場環境アドバイス
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受診・専門家への相談を検討したいサイン
健康経営の推進は社内で完結するものではありません。以下のような状況が見られる場合は、産業医や外部の専門機関への相談を検討することをお勧めします。
- 休職・長期病欠が増加傾向にある、または突然発生した
- ストレスチェックで高ストレス判定者が目立って多い状態が続いている(厚生労働省の実施マニュアルでは受検者のおおむね10%程度を目安として高ストレス者を選定するとされており、組織ごとの職場環境により判断が必要です)[6]
- 健康診断の所見率(要経過観察・要治療)が高い部署が特定されている
- 管理職自身が過重労働・高ストレス状態に陥っている
- 職場内でのコミュニケーション不全や人間関係トラブルが増えている
- 従業員から「体調不良で業務に集中できない」という申し出が増えている
これらのサインは、個人の問題ではなく組織・職場環境の課題として捉え、産業医への相談や外部EAP(従業員支援プログラム)の活用を検討するタイミングのひとつとされています。
参考文献
- 経済産業省(2025年3月)「健康経営優良法人2025の認定について」経済産業省プレスリリース. 経済産業省
― 本記事での引用箇所:健康経営優良法人2025中小規模法人部門の認定数(19,796社)、健康経営銘柄企業の離職率に関する言及
- SOMPOヘルスサポート(2020年)「健康経営で注目される生産性指標"プレゼンティーイズム"を解説」SOMPOヘルスサポート お役立ち情報. SOMPOヘルスサポート
― 本記事での引用箇所:プレゼンティーイズムによる損失がアブセンティーイズムを上回るという報告、健康リスク水準別コスト比較の根拠
- 帝国データバンク(2023年)「健康経営に関する企業の意識調査」帝国データバンク 調査レポート(オフィスのミカタ掲載). オフィスのミカタ
― 本記事での引用箇所:未取り組み企業の理由(人材確保困難39.0%、方法不明確37.3%、費用対効果不明確29.3%)
- 全国健康保険協会(協会けんぽ)東京支部「健康経営優良法人認定制度について(経済産業省)」協会けんぽ東京支部. 協会けんぽ
― 本記事での引用箇所:健康宣言事業への参加が中小規模法人部門の認定要件であることの根拠
- 厚生労働省・職場のあんぜんサイト「衛生委員会〔安全衛生キーワード〕」職場のあんぜんサイト(厚生労働省). 職場のあんぜんサイト
― 本記事での引用箇所:衛生委員会の設置義務(常時50人以上の労働者を使用する事業場、労働安全衛生法第18条・施行令第9条)の根拠
- 厚生労働省(2015年・2016年改訂)「労働安全衛生法に基づくストレスチェック制度実施マニュアル」厚生労働省労働基準局安全衛生部. 厚生労働省
― 本記事での引用箇所:高ストレス者の選定において受検者のおおむね10%程度を目安とするという数値基準の解説
本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、医療上の診断・治療に代わるものではありません。従業員の健康問題については、産業医や医療機関にご相談ください。また、健康経営に関する法令・認定要件は変更される場合があります。最新情報は経済産業省・協会けんぽ等の公式情報をご確認ください。