赤ちゃんとの生活が始まった直後から、まるで社会から切り離されたような感覚に陥る。育児は愛しいはずなのに、今日も誰とも話せなかった、助けを求めたいのに誰に頼ればよいかわからない——そんな感覚を抱える子育て中の方は少なくありません。「孤育て」や「ワンオペ育児」と呼ばれるこの状況は、近年の研究でも深刻な精神的負荷と関連することが示されています。この記事では、孤立した育児の実態と背景、具体的に使える支援リソース、そして受診を検討すべきサインまでを根拠に基づいて解説します。
「孤育て」とは何か——現代の子育て環境で起きていること
「孤育て」とは、育児をほぼ一人で担い、周囲から孤立した状態で子育てをしていることを指します。「ワンオペ育児」も同義で使われることが多く、核家族化・共働き化・地域コミュニティの希薄化が重なった現代の日本特有の社会現象として注目されています。
内閣府男女共同参画白書(平成29年版)が総務省「社会生活基本調査」をもとに作成した図表によると、6歳未満の子どもを持つ夫の家事・育児関連行動者率(実際に行動した者の割合)は低水準にとどまっています[1] 。このデータは、家事・育児の負担が依然として大きく母親側にかかっていることを示しており、特に里帰り出産を終えて自宅に戻った後、頼る人がいない状態が続きやすいとされています。
民間調査(PIAZZA株式会社、2020年)では、子育て中に「孤立や孤独を感じる」と答えた親は約67%にのぼり、そのうち女性では74%に達したとも報告されています。孤独を感じる場面として「子どもと二人きりでいるとき(約61%)」が最多でした。これは特別な家庭の事情ではなく、多くの家庭が日常的に抱える状況です。
図1:孤育ての構造——育児担当者の周囲のつながりが遠のき、相談相手のいない孤立状態が生まれやすい背景
なぜ孤立は精神的健康に影響するのか——研究が示す背景
産後の孤立が精神的な不調と関連することは、複数の研究で報告されています。東京医科歯科大学の山田らが愛知県の母親6,590人を対象に行った調査(2020年)では、ソーシャルサポート(配偶者・周囲からのサポート)の有無と産後うつ(EPDS)の関連が分析されました[2] 。
その結果、配偶者・周囲のいずれからもサポートを受けられない母親は、両方からサポートを受けられる母親と比べて産後うつのリスクが7.22倍(95%CI: 1.76–29.6) であることが示されています。また、配偶者のサポートのみある場合でも2.34倍、周囲のサポートのみの場合でも3.13倍のリスク上昇が確認されており、両方のサポートが揃うことの重要性が強調されています[2] 。
この研究は、産後うつのリスクが「孤立の深さ」に比例して高まる可能性を示唆しています。産後うつの有病率については、国内の研究では通常状態で産後1か月に約14.3%と報告されており[3] 、コロナ禍には社会的支援の喪失により約28.7%(コロナ前比で約2倍)に増加したという調査結果もあります[3] 。
図2:ソーシャルサポートの種類別・産後うつリスク比(Yamada et al. 2020 [2] のデータをもとに作図)。両方のサポートがある場合を基準(1.0)とした比較。
孤立を深める現代特有の3つの要因
孤育ての背景には、個人の問題だけでなく社会構造的な要因が重なっています。主に次の3つが指摘されています。
核家族化と地理的分散 : 実家や親族が遠方にいるケースが増え、里帰り終了後に「頼れる人がいない」状態に陥りやすい。かつては地域や親族から得られていた育児の知恵やサポートが失われています。
パートナーの育児参加の不足 : 日本の男性の家事・育児関連行動者率は低水準にとどまっており、働き方や職場文化、育休制度の活用実態が課題として残っています[1] 。育休取得率の男女差は依然として大きく、育児の負担が一方に偏る構造が続いています。
SNSによる比較疲れと情報過多 : スマートフォンの普及により、育児情報源としてSNSを利用している母親は75%以上にのぼるとする調査もあります[4] 。しかしInstagramなどで「完璧な育児」を見せ合う文化が、自分の状況との比較によって孤独感や自己評価の低下を招くことも指摘されています。情報は得られても、直接的な共感やサポートは得にくい点が課題です。
特に産後の母親は、ホルモンの急激な変化が重なる時期でもあります。これらの社会的要因が重なると、精神的に追い詰められる状況が生まれやすくなります。「自分が弱いから」ではなく、構造的な問題であるという視点が、SOSを出すことへの心理的ハードルを下げる一歩になります。
使える支援リソース——制度・サービスを把握しておく
孤立を感じたときに活用できる支援リソースは複数あります。「使いすぎ」ということはなく、早めに知っておくことが大切です。
地域子育て支援センター(地域子育て支援拠点事業) : 市区町村が設置する、乳幼児を持つ親子が無料で集える場所。育児相談やイベント、他の親との交流ができます。保育士・子育て支援員がいるため、専門的なアドバイスも受けられます。住んでいる市区町村の窓口またはホームページから確認できます。
産後ケア事業 : 母子保健法に基づき、市区町村が提供する産後1年以内の母子へのサービスです。助産師・保健師・看護師が身体ケアや育児サポートを行い、宿泊型・デイサービス型・アウトリーチ(自宅訪問)型があります[5] 。令和3年より市区町村の努力義務とされ、全国展開が進んでいます。利用料の減免制度も設けられています。
ファミリーサポートセンター(ファミサポ) : 地域の有償ボランティアが一時的に子どもを預かるサービスです。比較的低価格で利用でき、外出・受診・休息などに活用できます。
一時預かり事業 : 保育所や認定こども園などが一時的に子どもを預かるサービス。リフレッシュや急な用事の際に利用できます。
こども家庭センター(旧:子育て世代包括支援センター+子ども家庭総合支援拠点) : 令和6年時点で全国876か所に設置が進んでいるワンストップ相談窓口です[5] 。妊娠届から産後の育児支援まで、保健師や社会福祉士が個別のサポートプランを作成してくれます。
ピアサポート・オンラインコミュニティ : 同じ境遇の親同士がつながるグループです。山下らによる系統的スコーピングレビュー(2022年)では、オンラインピアサポートが母親のメンタルウェルビーイングに一定の好影響をもたらした事例が報告されており、外出が難しい時期のつながりの選択肢として注目されています[6] 。ただし、介入研究のエビデンスが限られているため、効果については今後さらなる研究が必要とされています[6] 。
「社会的処方」という考え方——つながりそのものが支援になる
医療の枠を超えた「社会的処方(Social Prescribing)」という概念があります。これは、孤立・孤独に対して薬ではなく、地域のつながりやコミュニティ活動への参加を「処方」するアプローチです。英国では国民健康サービス(NHS)が公式に取り入れていますが、日本でも子育て分野への応用が研究されています。
本田らが日本の母親を対象に行った研究(2022年)では、コミュニティとの社会的つながりが弱い母親の社会経済的特性が分析され、孤立した育児への社会的処方の必要性が論じられています[7] 。近隣との交流度が低いこと・若い母親世代・保育施設未利用などが孤立リスクと関連することが示されており、「つながりをつくること」それ自体が精神的健康の土台になるという視点は、支援を探す際の方向性として参考になります[7] 。
具体的なセルフケアとして、以下のことが取り組みやすいとされています。ただし、これらは「万能な対策」ではなく、あくまで精神的な土台を整えるための一助です。
「つながる」1歩を小さくする : 大きなコミュニティに参加しなくても、市の子育て支援センターに一度立ち寄るだけでも構いません。定期的に顔を見せることで、保育士さんに顔を覚えてもらえます。
SNSとの付き合い方を見直す : 比較疲れを感じたら、見る量を意識的に減らすことも選択肢の一つです。代わりに同じ悩みを抱える親同士の非公開グループやオンライン相談を使う方法もあります。
パートナーとの役割分担を言語化する : 「察してほしい」では伝わりにくいことも多く、具体的な分担リストを作るなど、言葉にして共有することが夫婦の協力体制を整える出発点になります。
祖父母・オンラインのつながりを活用する : 物理的に遠くても、ビデオ通話で顔を見せることで精神的な孤独感が和らぐことがあります。里帰り後の「抜け感」に対して、定期的なオンラインコンタクトが補完的な役割を果たすことがあります。
SOSの出し方を練習する : 「助けて」と言うことを苦手に感じる方は多いですが、支援機関には「困っているかもしれない」と伝えるだけでも大丈夫です。こども家庭センターや保健センターは、相談の形式にこだわらず受け付けています。
図3:使える支援リソースと受診を検討したいサインの整理——どの段階でも相談窓口につながることが大切です
受診を検討したいサイン
子育ての孤立や疲弊は、誰にでも起こりうることです。しかし、以下のような状態が続いている場合は、自己判断だけで様子をみるのではなく、産婦人科・精神科・心療内科、またはこども家庭センターや保健センターへの相談を検討してください。
2週間以上、ほぼ毎日気分が落ち込んでいる、または何をしても楽しいと感じられない
赤ちゃんが眠った後も自分は眠れない、あるいは食欲がほとんどない
赤ちゃんに愛着が感じられない、または赤ちゃんを傷つけてしまいそうな不安がある
消えてしまいたい、死にたいという気持ちがよぎる
強い不安感や動悸が続く、または現実感が薄れる感覚がある
育児への恐怖感が強く、日常生活が送れないほど追い詰められている
パートナーや身近な人への暴言・暴力的な行動が気になる
これらは「気合いや根性」で乗り越えられるものではなく、専門的なサポートが必要なサインである可能性があります。一人で抱え込まず、まずは電話相談でも構いません。こども家庭センター・各市区町村の保健センター・産婦人科は相談を受け付けています。
参考文献
内閣府男女共同参画局(2017) 「I-3-9図 6歳未満の子供を持つ夫の家事・育児関連行動者率」男女共同参画白書(平成29年版). 内閣府男女共同参画白書 H29 図表 ― 本記事での引用箇所:「6歳未満の子を持つ夫の家事・育児関連行動者率(総務省社会生活基本調査に基づく分析)」の根拠
Yamada A, Isumi A, Fujiwara T(2020) 「Association between Lack of Social Support from Partner or Others and Postpartum Depression among Japanese Mothers: A Population-Based Cross-Sectional Study」Int J Environ Res Public Health . 17(12):4270. PMC7345875 ― 本記事での引用箇所:「ソーシャルサポートなし群で産後うつリスクが7.22倍」「両方サポートあり群を基準とした4条件別リスク比」の根拠
熊倉可菜(2024) 「産後うつをめぐる社会の認識はどのように広がってきたか——新聞記事の検討を通して——」桐生大学紀要 第35号, pp.15-25. J-STAGE ― 本記事での引用箇所:「産後1か月での産後うつ有病率14.3%」「コロナ禍で28.7%(約2倍)」の根拠
中島千英子・永井由美子(2020) 「母親の育児情報源としてのSNS利用に関する調査」大阪教育大学紀要 人文社会科学・自然科学 第68巻, pp.41-49. 大阪教育大学リポジトリ ― 本記事での引用箇所:「育児情報源としてSNSを利用している母親は75.1%」の根拠
こども家庭庁支援局虐待防止対策課(2024) 「こども家庭センターについて(令和6年度保健師中央会議 行政説明 資料16)」こども家庭庁. こども家庭庁PDF ― 本記事での引用箇所:「令和6年5月時点でこども家庭センター設置済み876か所」「産後ケア事業の経緯・内容・実施状況」の根拠
Yamashita A, Isumi A, Fujiwara T(2022) 「Online Peer Support and Well-being of Mothers and Children: Systematic Scoping Review」J Epidemiol . 32(2):61. PMC8761562 ― 本記事での引用箇所:「オンラインピアサポートが母親のメンタルウェルビーイングに一定の影響をもたらす可能性」「ただし介入研究のエビデンスは限定的」の根拠
Honda M, et al.(2022) 「Social prescription for isolated parenting in Japan: Socioeconomic characteristics of mothers with weak social connectivity in their community」Health Soc Care Community . 30(5):e1815-e1823. PMC9543771 ― 本記事での引用箇所:「コミュニティとの社会的つながりが弱い母親の社会経済的特性(近隣交流度・年齢・保育施設利用)と孤立リスク」「孤立した育児への社会的処方の必要性」の根拠
本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、診断・治療に代わるものではありません。記載している内容は執筆時点の情報であり、制度・サービスの詳細は自治体によって異なります。症状が続く・悪化する場合や、強い苦しさを感じている場合は、産婦人科・精神科・心療内科または市区町村のこども家庭センター・保健センターにご相談ください。